格子戸の並ぶ通りを、観光客に混じってのんびり歩く、あの明るい金沢の「ひがし茶屋街」には何度も来たことがありました。
でも、夜に来たのはこれが初めて。
その日は、はっきりと何かを撮ろうと決めて出かけたわけではありません。
「ひがし茶屋街って夕飯を食べられるお店あるんだっけ?」
それくらいの軽い気持ちで、小さなカメラを一台だけ提げて、暗くなりはじめたひがし茶屋街を散策してみました。


歩き出してすぐに、足が止まりました。
「あれ?こんなに灯りが少ないんだっけ?」
知っているつもりだった街が、まるで違う顔をしていました。
空はまだ深い藍色を残していて、その青と、灯りのオレンジが溶け合う時間帯。
格子の隙間から漏れる障子越しの光、軒先にぶら下がる古めかしい街灯、石畳の目地までぼんやり照らす明かり。
実は、この日のカメラには、もしかしたら役に立つかもしれないと、ブラックミストフィルターを装着していました。
灯りの輪郭がやわらかくほどけて、光の粒がふわっと滲む。見慣れたはずの通りが、そのまま知らない街になっていくようでした。





撮っているというより、光に呼ばれて歩かされているという感覚。
気づけば、次の灯りへ、また次の灯りへと、足が勝手に向いていました。前を行く二人連れの背中も、路地の奥へ吸い込まれていきます。
そんな時。
遠くから、太鼓の音が聞こえてきたのです。何だろうと音のほうへ近づいていくと、白い装束に烏帽子をかぶった人たちが、金色に輝く神輿を担いで、こちらへ向かって進んできました。

何が起きているのか、その時の私にはまったく分かりませんでした。
ただ、暗い夜の街に、金の装飾がゆらゆらと揺れながら近づいてくる。担ぎ手たちの声と足音、太鼓の響き。
後で調べてみたら、これは年に一度、宇多須神社の毘沙門天が夏の間を過ごす卯辰山の奥の院へ移る「お上がり」という神事とのこと。しかも開催されるのは、夏のある一日の夜だけらしい。
まさか、そんな場面に立ち会えるなんて。



そこから先は、また灯りに任せ、ひがし茶屋街の散歩を楽しみました。
しだれ柳の枝の向こうで、押しボタン式信号が赤や緑にぽっと滲む交差点。人けのない路地の奥に、ひとつだけ灯る店先の明かり。
閉店後のショーケースに、商品だけが静かに照らされている一角も、何かいつもと違って見えましたね。

カメラを持って散歩をする。
それだけで、知っているはずの街が、きっと少しだけ違って見えるはずです。そしてもしかしたら、その夜にしか出会えない何かが、待っているかもしれません。
そんなことを教えてもらった、金沢の夜でした。








