素晴らしいお店は、美味しい料理や、居心地のいい空間だけでできているわけではないと考えています。
「人の温度感」が加わってはじめて、記憶に深く残る1日になる。
料理の味も、店の空気も、最後はいつも、そこにいた誰かの顔と一緒に思い出される。私はそのことを、写真を撮りながら何度も実感してきました。

上の写真は、台湾・高雄で食べたシュウマイのお店です。
日本語はもちろん英語も通じず、それでも人間味あふれるお店だったなぁと今でも感じています。
味ももちろん忘れられませんが、思い出すとき浮かんでくるのは、立ちのぼる湯気も、その向こうで黙々と蒸籠を扱っていたあの人の姿。
あなたにも、覚えがないでしょうか。
「あの店、美味しかったな」と思い返すとき、頭に浮かぶのは料理だけではないはずです。声をかけてくれた人の表情や、その場の温かさが、味と一緒によみがえってくる。
私たちがもう1度あの店に行きたくなるのは、きっと、そこにいた人ごと、その時間を好きになっているからだと思うのです。
美味しいものがあるからこそ、それを生み出した人が気になる。この1皿はどんな人の手から生まれたんだろう、と知りたくなる。
これまで料亭の料理長や、包丁を打つ職人の方まで、いろいろな作り手を撮らせてもらってきましたが、その思いは撮るほどに強くなるばかりです。

少し、身近な話をしましょう。例えば、ビールを注ぐ人を想像してみてください。
「とりあえず、生で。」
私も長いあいだ、この1杯をどこで頼んでも同じものだと思っていました。
銘柄も、注ぐ人も、気にしたことすらなかった。その考えを根っこから変えたのが、チェコのピルスナーウルケルというビールとの出会いです。
このビールには、「タップスター」と呼ばれる公認の注ぎ手がいます。掲げているのは、「醸造家がビールを醸造し、注ぎ手がビールを完成させる」という考え方。作る人がいて、その先に、届ける寸前で味を仕上げる人がいる。その最後の一手にまで名前を与えて光を当てていることに、まず驚かされました。


実際に見た注ぎ方は、もう「作業」ではありません。
グラスの角度、注ぎ切るまでの静かな間。真剣で、それでいてどこか楽しげで、1杯を仕上げていくその一連の所作は、儀式のようでもあり、ちょっとした見せ場のようでもありました。
そうして注がれた1杯は、私の知っているビールとは、まるで違いました。ただ喉を潤すための飲み物ではなく、ひとつの作品。そう呼びたくなる1杯だったのです。
たかが1杯のビール。されど、1杯のビール。


1杯のビールにここまで集中したことは、これまでの人生で1度もなかったと思います。これほどまでに心が揺れたのは、味という「情報」だけではなかったわけなんです。
この1杯の裏に、どれだけの時間と手間が積み重なっているんだろう。
「味の向こうに、人が見えた。」
たぶんこれが、私が「人」を撮りはじめた、いちばん最初の実感でした。


カウンターの内側には、その人だけの手つきと、その人だけの顔がありました。
真剣な横顔、ふとこぼれた笑顔。撮らせてもらった1枚1枚に、その1杯が生まれるまでの時間が、そのまま写っている気がします。

もちろん、これはビールだけの話ではありません。
湯気の向こうで蒸籠を返す人。
行きつけのスタンドで、黙って完璧な1杯を淹れてくれる人。
ふだんは名前も知らないまま通り過ぎてしまう、そういう手仕事のひとつひとつが、私たちの1日を、少しだけ、でも確かに豊かにしてくれています。
こんなシーンに出会うために、私はこれからもシャッターを切っていきたいと思います。
それが、私がお店の「人」を撮る理由です。










